ぐらもゲーム日記

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EU3 IN (ヨーロッパ・ユニバーサリスIIIイン・ノミネ) イングランドAAR 14 
カテゴリ : EU3

欧州大乱


前回の続き

約20年の間、探検やインディオいじめに明け暮れた我がイングランドですが、久々に活動の舞台を欧州に移します。それも侵略者として。


ユトレヒト侵略戦

インディオ国家に何度か戦争を仕掛けていましたが、これらの国への攻撃はパラドゲーではお馴染みのbadboyポイントこと悪評値をあまり上昇させません。長期間ヨーロッパ国家への宣戦布告や領土の奪取を行わなかったおかげで、1476年には「きわめて高潔な国」というすがすがしい身になりました。

そうなれば今度は「多少は暴れてもいいかな」と考えるのが人の性というもの。
教皇の御者の特権を濫用してオランダの隣国ユトレヒトを破門の上、宣戦布告する。

ユトレヒト側は同盟国としてケルンとミュンスター。そして皇帝(ブラウンシュバイク)が参戦。ミュンスターが盟主とつとめるようだ。
対するイングランド側はいつものメンバに加え、数年前から同盟に加えた属国オランダも今回から参戦。


エドワード6世は軍事能力のみ8で残りが3というマッスル君主。
白兵戦指揮値5のおかげもあって、開戦からたったの数日でミュンスター軍は全滅しました。

イン・ノミネでは野戦で5日以内に決着が付くと50%の確率で敵部隊が壊滅します。
しかしいくら戦力差があるとは言え、4000兵の部隊が5日以内に負けるってのはさすがに陸軍維持費を低く押さえて士気が低くなってたんだろうと思う。士気値が回復するのは毎月1日なので、宣戦のタイミングによっては慌てた敵国が維持費を増額しても効果が出る前に倒せるってことです。

1477年には1プロヴィンス国家のユトレヒトを併合。
同年、ケルンからヴェストファーレンを獲得し個別和平。
そして翌年には残る2国も完全占領し、


首都以外のプロヴィンスを割譲させ停戦した。

終戦後の領土はこんな感じに。赤い領土がイングランドね。今回の戦争で5つのプロヴィンスを獲得できた。

ポルトガルの植民参加と琉球征服

さすがに領土が広くなってくると各地でいろんな出来事が同時進行します。

1477年、50年前にモロッコから奪った北アフリカ西岸のイフニが中核州化した。イフニから植民者を送れるようになったおかげでブラジル北東部やカリブ海に浮かぶプエルトリコやドミニカのあたりにまで植民が可能になる。

またこの頃、ポルトガルがようやく未知の領域を探検できるようになったらしく、新大陸への植民を開始しています。大西洋に浮かぶアゾレス諸島を中核州として抱えているため、最初から植民可能な距離が広く、各地へ一斉に植民者を送っているようです。

一方アジアでは1477年、朝鮮を攻めていた日本が和平を結び、その際の和平条件として琉球が朝鮮から独立した。

これは、イングランドにとって待ちに待った大チャンスだったりします。

実は数年前から、アジア方面の探検に向かった陸軍と海軍を使ってどこか東南アジアの小国を侵略しようと目論んでいたんです。東南アジアに自国領を得ておくことで、50年後にそのプロヴィンスが中核州化すれば植民の起点として使えるようになることを期待していました。
東南アジアには空白プロヴィンスが多くて植民の余地があるし、将来的にオーストラリアへの植民団を送る際の起点になりそうだからね。

ただ、さすがに探検用に出した2000兵で侵略できそうな国はどこにもなく、ずっと立ち往生していたのである。

そこへ琉球の独立です。
独立直後の兵力ゼロ、同盟国ゼロ、独立を保証してくれる国ゼロの状態を目ざとくかぎつけて宣戦布告しました。
この2日後には日本が琉球の独立を保証したのでまさにぎりぎりのタイミング。

そして1479年には琉球を併合。

ユトレヒトと琉球の併合やヘッセンなどからの領土割譲によって、1476年には「きわめて高潔」であったイングランドの評判はたった3年のうちに一気に「良くない国」になりました。
またしばらくおとなしくしなければなりません。

戦乱の嵐

1479年、ブルゴーニュがリエージュに宣戦布告。

敵はリエージュ、ケルン、トリアー、プロヴァンス、ハンガリー、アヴィニョン。盟主はトリアーとなった模様。
イングランドにとって栄えある「侵略したいけどなかなか宣戦布告できない国」ナンバー1の座を保持し続けているアヴィニョンが敵にいるのは良いのだが、こちらも向こうも同盟の盟主ではないのであまり意味はない。

味方の陣営はブルゴーニュの同盟国であるポルトガル、ジェノバとイングランド、そしてあともう1国(当時の戦争一覧画面のスクリーンショットはあるのだが国旗からどの国なのかよくわからないw多分ブルゴーニュの属国のどれかだと思う)。

なかなかの敵戦力に見えますが、この時ハンガリーは

オーストリアに蹂躙され尽くしているので居ないも同然です。

戦争のゆくえですが、

リエージュは開戦後あっという間にブルゴーニュに併合されました。

また、同じ1479年にはアラゴンがアヴィニョンに宣戦布告。ブルゴーニュやイングランドと戦争中のアヴィニョンの隙を狙ったのでしょうか?
同盟国ではあるが、既にアヴィニョンと戦争状態であるためか、アラゴンからは支援要請が来なかった。

イングランドは複数プロヴィンスでアヴィニョンからの侵攻を受けるが、名将エドワード6世の活躍で敵の侵攻軍を撃退し、奪われたプロヴィンスも取り戻す。

実は反乱軍を除けば、この規模の兵力のヨーロッパ勢の軍隊と戦うのは初めてだったりします。いつもは兵力の温存を第1に考えてるので、例えこちらが有利であっても大部隊からは逃げ、小部隊つぶしばかりしてたりする。

そして、同盟の盟主でない立場のイングランドとしては、やはり和平交渉相手となる敵の盟主、トリアーを狙います。1480年には、

全土を占領したあと、2つあるプロヴィンスのうち片方を割譲させ、なおかつ属国化させた。これでまた悪評値が上がってしまった。

なお、トリアーはこの後残る1プロヴィンスをブルゴーニュに占領されて併合されます。まあ予想はしてたけどね。

そして、この和平の直後のことでした。

家系の途絶えたポーランドの継承権を巡って、ブルゴーニュとオーストリアが戦争を始めました。世界軍事力ランキング1位と2位の激突です。

・・・・・

わお。

次回へ続く。
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